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売春の歴史
世界史における売春
売春はおそらく人類の発達の非常に初期の段階から存在しただろうとされる。未開社会でも売春とみなされていた男女関係は見られる。しかし社会の認識の違いや、乱交と売春のみわけがつきにくいなどの理由により、売春の起源ははっきりしない。 厳密性は別として「人類最古の職業(the oldest profession)の1つ」とはよく評される。ちなみに、「人類最古の職業」と呼ばれる物には、他に聖職者、助産師、医師、盗賊、傭兵等がある。
日本史における売春
日本もまた売春は古来から歴史上に顔を見せている。特に室町時代における集娼制度、江戸時代の吉原遊郭の開設など、公認された遊郭のもとに売春は公然と行われていた。明治になって、人権思想の流入とともに廃娼運動が起こるが、対抗もあり売春が減少することはなく、ますます繁栄をみた。 戦後、売春防止法が昭和31年5月に公布、33年4月1日に完全施行された。
女性
日本の娼婦(遊女)には古来より数多くの呼称があり、古く『万葉集』には、「遊行女婦(うかれめ)」の名で書かれている。 中世には、「傀儡女(くぐつめ)」や「白拍子(しらびょうし、はくびょうし)」「遊女(あそび)」「傾城(けいせい)」「上臈(じょうろう)」などと呼ばれていた。その他「女郎(じょろう)」、「遊君(ゆうくん)」、「娼妓(しょうぎ)」という呼称もある。 遊女屋が権力の統制と保護を受け、遊郭として1箇所に集められたのは近世(安土桃山時代)以降のことである。 明治維新の後、1872年(明治5年)、マリア・ルーズ号事件が発生(ペルーの汽船が横浜港外に碇泊した際、船内における中国人苦力に対する奴隷扱いに対し、「虐待私刑事件」として日本の外務省管下で裁判を行った)。裁判中、被告船長ヘレイラの代言人の申し立てのなかで、「日本が奴隷契約が無効であるというなら、日本においてもっとも酷い奴隷契約が有効に認められて、悲惨な生活をなしつつあるではないか。それは遊女の約定である」と、遊女の年季証文の写しと、横浜病院医治報告書を提出した。特命裁判長であった神奈川県権令大江卓は「日本政府は近々公娼開放の準備中である」と公娼廃止の声明を世界に誓約する(吉見周子著『売娼の社会史』より)。1872年10月2日、芸娼妓解放令が出された。遊女の人身売買の規制などを目的とした法令だが、準備期間が全くないまま唐突に発せられた点は否めず、法令としてはあまり機能しなかった。
男性
男娼もまた古くから歌や踊りを披露する芸人の中に存在している。ただし寺院の稚児や、武士のあいだの男色の相手は、売春ではないとされる。人身売買が公然と存在した中世には、売春のための稚児の少年を一夜売る商売も存在した。何種類もの形態で遊女が登場したように、男娼の世界においても、陰間茶屋の高級色子から、地方まわりの男娼芸人に至るまで、多様な姿で売春が展開していた。日本では男娼という言葉は戦後小説「男娼の森」などをきっかけに広がった。 女性を買い付け遊郭などに仲介する女衒も古くから存在している(男性による売春の斡旋)。日本では戦後に政府が公娼制度を廃止すると、それと同時に女衒も自然消滅したとされている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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